妙櫻寺について

ABOUT

妙櫻寺の由来

ORIGIN

太平山妙櫻寺はご本尊は日蓮宗奠定の大曼荼羅とし、身延山を総本山と仰ぐ日蓮宗の寺院です。開山住職は、鈴木日壽上人です。妙櫻寺の前身である妙櫻教会を、守護神の七面大明神の力を得て、昭和27年4月8日に杉並区和泉町に僅か11坪の土地に設立して、苦悩する人々の良き相談相手となり、法華経弘通に邁進して参りました。その間開山住職は、大荒行5行成満いたしました。 中央道開通の為移転を余儀なくされ、昭和53年4月8日に寺号を妙櫻寺と改称し鎌倉古道・万葉の地横山の道に隣接する多摩市南野に、身延山久遠寺を正面に遥拝し、本堂・庫裡・墓地(1000区画)永代墓所久遠塔・駐車場(50台完備)が完成いたしました。開山住職は当時の心境を「富士の峰眺むる多摩の一隅に 平和の祈る妙櫻の寺」と詠んでおります。

多摩市内の寺院は、多摩丘陵のほぼ中央に位置し、西方に遠く富士の霊峰を望み、北には多摩川の清流が悠然と流れ、鎌倉・川崎・野猿街道の主要道を有し昭和39年頃から多摩ニュータウン開発により発展してきた霊場です。今日の日本の平和のかげには、先の大戦において多くの犠牲者がおり、多摩市内においても280名(多摩市戦没者資料による)の戦没者がおります。 多摩市仏教会では、先の大戦50回忌に正当する平成6年8月に、戦災難殃死者群霊50回忌の追福供養と世界平和を祈念して十三仏を造顕し一ヶ寺一尊(仏)請来し末永く伝えるものといたしました。妙櫻寺では、十三仏の仏様として、「日本一の智者となし給え」と日蓮大聖人出家、幼少の頃の願掛け虚空蔵菩薩がまつられております。堂内には大願成就の三吉坊、祈祷本尊鬼子母尊神、開運大黒福壽尊天が安置されております。

年間行事予定

  • 1

    初題目

    新年初のお正月に唱えるお題目です。「祝祷(しゅくとう)」とは、新年を祝い社会の平和・家内安全を願う事です。

  • 2

    節分会

    冬から春に変わる節分時に豆をまき、疫病の神である鬼を追い払う儀式です。

  • 3

    春季彼岸会

    春の彼岸と秋の彼岸とがあり、いずれも春分の日と秋分の日を中心として、前後3日間の一週間を期間としています。この一週間は先祖をうやまい、亡き人に供養を捧げるとともに、仏道の事を考える日とされています。

  • 7

    新盆会、盂蘭盆会

    新盆会とは、亡くなられてから初めて迎えるお盆です。亡くなられて一周期も経たない間に迎える新盆は、普通の時の御盆より飾り付けも、供養の品も盛大にし、故人の好物なども多く供えてあげます。また盆提灯も白木の無地の物をお飾りします。 盂蘭盆会とは、一般的には、先祖の霊を仏壇にお迎えして供養するための行事です。ナスやキュウリで牛馬をつくったり、ほおずきを飾ったり、迎え火を焚いたりする、様々な趣向や特色が見られる行事です。

  • 9

    秋季彼岸会

    秋季の彼岸会です。内容は春季彼岸会と同じです。

  • 10

    お会式

    日蓮聖人の亡くなった日です。年回法要を兼ねて、我々の日ごろの感謝を表す儀式です。

妙櫻寺の御首題

神社や寺院において、参拝者に向けて押印される印の御朱印がありますが、日蓮宗では信仰の証を意味する御首題(ごしゅだい)というものがあります。 中央に南無妙法蓮華経とお題目を書き、それぞれの寺院の朱印を押印します。妙櫻寺は多摩十三仏霊場の十三番目であり、虚空蔵菩薩像が安置しておりますのでお題目の後ろに虚空蔵菩薩像の印が押してあるのが特徴です。

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妙櫻寺の仏像、彫刻

日蓮大聖人像

昭和三十二年四月八日に認可されて以来、現在に至るまで妙櫻寺の宝塔を照らしてきた御祖師様です。

大黒天像

大黒天は、七福神として有名ですが、仏法を守る戦闘的な怒りの神としてや、恵比寿天とならぶ福神として信仰されています。 不老長寿、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全のお利益があるとされています。 日本へは中国で寺院の台所の神様として祭られていたものが伝えられ、室町中期以後は、七福神のひとりにもなっています。妙櫻寺では本堂の入口に飾られています。

鬼子母神像

鬼子母神像は、仏教と子供の守り神です。 鬼子母神は、500人ものたくさんの子供をもつ鬼女(きじょ)で、この子供たちを育てるために、 人間の子供をさらっては食べさせていた鬼。けれど、お釈迦様の教えにより改心し、以後は全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守るこ とを誓う、守護神となっています。

七面大明神像

七面大明神像は、七面天女(しちめんてんにょ)、七面大菩薩(しちめんだいぼさつ)とも言われ、女性の姿をしています。 日蓮宗の総本山は山梨県の身延山にありますが、この近くに七面山という山があります。七面大明神はこの七面山にまつられていて、身延山の鬼門を守護していたり、法華経の守護神とされています。

三吉坊像

三吉坊像は、秋田県を中心に北日本で信仰の厚い神様で、太平山(たいへいざん)山頂にある三吉神社が有名です。先代の住職が秋田県出身なのでご信仰していました。

虚空蔵菩薩像

虚空蔵菩薩像(こくうぞうぼさつ)は、仏教で智慧(ちえ)と福徳の仏様です。 「虚空(こくう)」とは、広大な宇宙のような無限という意味で、そのような無限の智恵と慈悲を持った菩薩とされています。 虚空蔵菩薩の信仰は8世紀初め頃から盛んに信仰され、その力によって大変な暗記力を得られたり、智慧やあらゆる財宝を得られる功徳や、所願成就の功徳があるとされています。 日蓮聖人は12才の時、千葉県清澄寺にまつられている虚空菩薩に、「日本第一の智者となさしめ給へ」と願掛けし、虚空蔵菩薩から宝珠を頂かったといわれています。

妙泉寺について

妙泉寺は千葉県八千代市にある、日蓮宗の寺院です。 地域住民の方々の憩いの場、お悩みをお聞きする場として、ぜひお気軽に起こしください。

妙泉寺の由来

寛泉山妙泉寺はご本尊を、銅像日蓮大菩薩坐像とし市川市の中山法華経寺を本山と仰ぐ日蓮宗の寺院です。創建は、室町時代の応永2年(1395年)、開山は、遠成院日応上人(没年は応永15年1408年)と伝えられています。鎌倉時代、日蓮大聖人が布教の為当地を訪れた際、自ら彫刻した日蓮像が安置されたといわれています。市域には、八ヶ寺の日蓮宗寺院がありますが、妙徳寺(真木野)東照寺(平戸)妙光寺(小池)の四ヶ寺、中世に創建されたとされます。これらの寺院のある市域の北西部はかつて千葉氏の一族(肥前千葉氏)の所領でしたが鎌倉時代末の元徳3年(1331年)法華経寺の寺領となりました。

当時の法華経寺の貫首の第三世日祐上人は日蓮聖人の御遺文(手紙や著作)や聖教(教学に関する書籍)などの収集に積極的につとめたことで知られています。康永三年(1344年)には集められた貴重な資料の一部を、当時島田で修行していた僧侶伊賀阿闍梨日遵上人に託しており島田には本山にとって重要な修行者が配されていたいうことがわかります。50年の後この地に妙泉寺が開かれたのです。妙泉寺は島田の人々のこころのよりどころとして存在し続けてきたのです。

妙泉寺を支え続けた島田の人々の信仰心はとても篤く現在も「神保組千部講」(八千代市北西部船橋市東部の13の旧村の地域で構成)に属し、持ち回りで「千部会」を行っています。これは「法華経」を一千部読誦する法会であり、120人ほどの方々が集まります。毎年8月17日には、「施餓鬼」の法会が、この妙泉寺で修されております。

さらに、島田では昭和30年代まで、二百十の厄除けとして「獅子舞が盛大に行われており、現在も「頭上げ」の行事を伝えています。また、妙泉寺や隣接する大宮神社の建つ一帯の高台には中世の館域があったと考えられておりその跡は「妙泉寺城址」と称されています。島田の地域の象徴として人々の集めるこの場所が、かつては政治の中心でもあったろうことに思いを馳せる時あらためて人々の営みのつながりの重さが蘇ってくるものであります。新本堂落慶法要が修されたのちも妙泉寺は檀家とともに末長く島田の人々の心のよりどころとしてますます繁栄されるものと期待が寄せられております。

基本情報

  • 住所:〒276-0005 千葉県八千代市島田200
  • TEL:047-488-7676